幼児の鼠経(そけい)ヘルニアの手術体験談。術後の様子とその後の経過観察

以前次男が陰嚢水腫(いんのうすいしゅ)のため手術が必要と診断されショック・・・。という記事を書いたのですが、次男が2歳になり今回手術をしてきました。

かなり心配でドキドキしていたのですが、無事に手術も終わり、次男もとても元気で安心しました。

これを読まれている方の中には、今現在お子様が手術を控えていてとても不安な思いをしていらっしゃる方もいるのではないでしょうか。

私の次男の鼠径ヘルニア手術の体験談を書いていますので、参考にしていただければと思います。^^

この記事の目次です

手術までにあったこと

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次男の異変に気付いたきっかけは、主人が次男をお風呂に入れているときに、次男の下腹部から睾丸に膨らみを発見したからです。

前回、最寄りの小児科で陰嚢水腫と診断され、紹介状をいただき大きい病院の外科に行きました。

が、結論からいうと、陰嚢水腫という病名ではなかったようです^^;

陰嚢水腫?鼠経ヘルニア?病名が変わった!?

地元の大病院の外科の先生に紹介状を読んでいただくと、とても渋い難しい顔になりました。もしかして重病なのかと私は気が気ではありませんでした。

そして顔を上げた先生の口から衝撃の言葉が飛び出したのです。

先生「すみません、これなんて書いてあるのかわかりません^^;

私「へっ!??」

先生「とっても達筆(←オブラートに包んだ言い方でした)な先生のようで^^;なんて書いてあるんですか?」

私「えーーー・・・。(゚д゚)」

ミミズの這ったような字とは、昔の方はうまいこと言ったもので、文字通りフワフワとした線が散りばめられたような文字らしきものが並んでいました。

私「えっと、わからないですね。」

先生「・・・^^;」

私「あの、陰嚢水腫と診断されたんですが、」

先生「水腫があるようには見えない、これは鼠経ヘルニアだね。」

私「はぁ。」

鼠経ヘルニアとは赤ちゃんがまだお腹の中にいる時、睾丸がお腹から陰嚢(いんのう、男の子の袋ですね)に降りてくるのですが、その時一緒に降りてきた腹膜が閉じなくなる症例で、男の子にはよくあるそうです。

これにより、泣いたり走ったりしてお腹に圧力がかかった際、下腹部から陰嚢にあたりが風船のように膨らみます。

※参考サイト 小児の鼠径ヘルニア(脱腸)手術について

1歳ころまでに自然に閉じることが多いそうでそれまでは様子を見て、2歳ころまでに変化がなければ手術となるそうです。

当時1歳だった次男は幸い痛みや不快感もないようで、2歳になるまで数カ月ごとに通院しながら様子を見ることになりました。

余談ですがこの後、小児科は違うところに行くようにしました^^;

手術のタイミングは?

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手術のタイミングは先生曰く、「2歳過ぎたらいつしてもよいが、体があまりに小さいと他の組織を傷つけてはいけないから、体が大きくなってから。小学校に入学後は勉強もあるし長い休みを取りにくくなるから、幼稚園の時くらいがよいのではないか。」とのことでした。

私としては、3歳になるまでには済ませたいと考えていました。

そんなに小さい時に手術をしてはかわいそうだと思いましたが、将来のことを考えると、大人になって記憶が残るかもしれない3~4歳の時に手術をして「子供の時手術をして怖かった痛かった」というトラウマを残してしまうかもしれないし、忘れてしまう可能性の高い2歳ごろの時に手術をしておきたかったのです。

というのも、私自身次男の出産のときの帝王切開が痛すぎてトラウマになっているからです。大の大人が痛くて泣くとは思いませんでしたし^^;
恥ずかしいけど、やはり恐怖は今も残っています。

これに関してはいろいろな考え方があるし、正解はないと思います。

どんな手術なのか

次男はおなかと足の付け根あたりに4センチ程度の穴をあけて腹膜を閉じる、開腹手術をしました。全身麻酔で行います。

入院期間は?

先生曰く、「日帰りでもいいくらい簡単な手術だけど、全身麻酔の経過を見たいから術後1日ほど入院してもらう」そうです。

お腹を切った後たった1日で大丈夫なのかと不安でしたが、後述しますが結果的に次男は元気に退院しました。

いざ手術へ

数カ月おきの通院をしながら様子見をしていた次男ですが、2歳と8カ月になったころ、担当の外科の先生より「そろそろ手術してみようか、2週間後くらいに」と言われました。

いきなりの展開に驚きましたが、3歳までにと考えていたので承諾し、準備を始めました。

手術までにやったこと

その時次男は年小の下のクラスの幼稚園に通っていたので、1週間ほどお休みすることを幼稚園の先生に伝えました。幼稚園のうちに鼠経ヘルニアの手術をすることは入園時に伝えていたので、「さみしいけど、頑張ってね」といってもらいました。

主人には手術の次の日に1日ほど休みを取ってもらい、退院時の迎えと、長男と一緒にいるようお願いしました。

手術当日は朝から何も食べてはいけないのですが、長男のだけ朝ご飯を食べさせるわけにもいきませんし、主人は朝早く出てしまうので頼れないため、手術の前日は実家に泊まり私と次男だけ朝食をとらずに朝早く病院に行くことにしました。

駐車場の関係で私が車で行けないため、病院へは父に車で送ってもらいました。

手術当日の次男の様子

起きてすぐに着替えさせて車にのせられ、何が何やらわからぬまま病院へ連れていかれる次男。「今日はママと病院にお泊りだよ」と言って聞かせました。

次男は「おなかすいた、ごはんは?」と何回も言っていたので、心が痛みました。

病院についてからは看護師さんたちに迎えられて、にこにこご機嫌です。マジックテープでくっつけるようになっている手術用の服に着替えるのですが、マジックテープの部分が痛いらしく嫌がるのををなんとかなだめて着せました。

父に「もう大丈夫だから仕事行ってもいいよ?」と声をかけると、手術が終わるまで付き添うとのことでした。普段子供の運動会や参観日は恥ずかしがって参加したがらない父ですが、心配してくれているのかとうれしくなりました。

オペ室へ向かう

手術用の服に着替えしばらくして、看護師さんが「ではそろそろ行きましょうか。」と迎えに来られました。

ついにか、という感じです。私かなり緊張。次男はよくわかっておらず、ニコニコしてついて行きます。手術するのが自分であれ子供であれ、手術室に向かうのは本当に気が重い。

不安にさせたくないので、次男には手術することはギリギリまで言わないようにしていましたが、ここで「(次男の名)くんの病気治してもらいに行くからね」と言いました。本人は相変わらずニコニコして看護師さんの後を歩いていきました。

オペ室でぐずりだす

看護婦さんに案内され、2分ほど歩いたとこでオペ室につきました。

私は帽子とマスクを渡され着用するよう言われました。泣いて暴れて麻酔針を打てないといけないので、落ち着かせて手術室の中のベッドまで連れて行くのが私の役目のようです。

手術室の前でたくさんのお医者さんと助手さんに囲まれ、次男は察したのか「ママ怖い、ヤダ」とぐずり始めました。

私も一緒に泣きそうになるのをこらえつつ、「みんな優しい人だよ」となだめました。2歳なので自分がなぜここにいて何をされるか理解するのは難しいはずですし、「がんばってね」のような言葉は逆効果だと思ったからです。

助手さんと私でなだめつつ、抱っこしてベットにそっと座らせました。次男は少し落ち着いたようでした。

あの丸いのが何個かくっついたようなまぶしすぎるライト、手術をするのは私ではありませんが、見るだけで本当に恐怖。

ですが、いつまでも私がいても離れられなくなるだけだと思い、次男が助手さんの声掛けに気を取られた一瞬の隙に「よろしくお願いします!」と言ってさっと手術室を出ました。

「ママー」と泣き叫ぶ声を背中越しに聞き、私もこらえきれず泣いてしまいました。

涙を隠して、看護師さんに私がもう付き添わなくてよいか確認し、よいとのことだったので手術室を出ました。

30分後、再びオペ室へ迎えに行く

オペ中は入院する部屋で待機でした。

寡黙で普段あまり会話のない父と二人きりになり、沈黙が気まずくてどうしようかと思いました^^;私一人だったら心配で不安に押しつぶされていたかもしれませんから、気まずさで気が紛れて逆に良かったような気がします。

食欲はありませんでしたが、次男の術後のケアに体力と気力がいると思ったので、何も食べられない次男には申し訳ないですが、この時間に軽く朝食をとりました。

30分後、看護師さんが来られて再びオペ室に向かいました。オペ室につくと担当のお医者さんが来られて処置の説明をされ、麻酔から目を覚ますまでここで待つよう言われました。

15分後くらいに次男がベッドで運ばれてきました。私を見ると「ママ、ママ、」と泣きながら気丈にも起き上がりだっこを求めてきました。

知らない場所にいきなり一人にされて怖かったろうにとまた泣きそうになりつつ、「なんだ起き上がれるのか、意外に元気そうだよかった」とも思いうれしくなりました。

次男を抱き上げてよいとのことだったので、抱っこしてそのまま部屋に帰りました。

傷口の様子

傷口は4センチくらいで、テープのようなものが貼られていました。手術用の接着剤だそうです。

次男が自分ではがしてしまわないよう、よく注意するように言われました。

麻酔が切れてからの様子、空腹に大泣き

部屋に帰ってからはずっと「お水がのみたい、おなかすいたお菓子たべたい」とぐずっていました。朝から何も食べさせてもらっていないので、空腹とのどの渇きが限界だったようです。

手術後6時間したら消化の良いものから飲食してよいとのことだったのですが、この6時間が長かった・・・。おなかがすいたとぐずり、体力の限界が来たのか寝て、またぐずり限界がきて寝て、の繰り返しでした。

途中母が見舞いに来て、威勢よく「みかん持ってきたよー」と取り出そうとするので、私も疲れていたので「食べたくても食べられないから!今出さないで見せないで!!」とイライラしたり^^;

結局痛みは最後まで訴えることはなく、いつ麻酔が切れたのかもわかりません。痛い痛いと泣かれるより、心なしか気が楽だったように思います。

やっと食べ物が食べられた

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そしてついに魔の6時間が経過して、食べたり飲んだりできる時間になりました。次男はまずお水を欲しがり、コップに少しづつ入れて飲ませていたのですが500mlのペットボトルを全部飲みそうになったので、おなかを壊してもいけないのでやめさせ、食べやすいかなと買っておいたプリンをあげました。

売店に大きいプリンしかなかったので、半分だけ食べさせようと思っていたのですが、持たせて食べさせていたところすぐに全部完食。まだお腹がすいたといっていましたが、手術したのにさすがに食べ過ぎだと思い「ご飯まで待とうね」とやめさせました。

2時間後夕食が運ばれてくると大喜び。夕食はおかゆではなく通常の食事で、すぐにもりもり食べ始めました。いつもは嫌がる小松菜のお浸しなんかもペロリと完食。相当空腹がつらかったようです。とても元気な次男にとても安心しました。

夜の様子、夜泣きと深夜の診察に母疲れる

夜寝る前になると「おうちに帰ろうよ」とまたぐずりはじめました。病院の付き添い用のベッドをレンタルしようと思っていたのですが、付き添って寝かしつけることにしました。子供用の策付きのベッドがこれまた狭い^^;私は身長が163センチあるのですが、ベッドが身長より小さく足をベッドの隙間から出して寝ていました。

腰と背中が痛く、次男の夜泣きと看護師さんの深夜の巡回で眠れず、体力をだいぶ消耗しました。

朝の様子、とっても元気

結局一晩中うつらうつらとして、気が付けば朝6時。次男は起きてトイレに行き、服を着替えるというので着替えさせました。本当に手術したのかと疑うほど元気でしたが、傷口をかばうようにへっぴり腰で歩き、時折傷口を見ては思い出したかのように「いたい、いたい」と言っていました。

それから朝食をとり、病院で退屈していると10時ごろ退院許可が出たので、主人に連絡して迎えに来てもらい退院。次男は看護師さんに元気に手を振っていました。

退院後の様子

迎えに来た主人と長男。6歳になる長男は最近「ママおらんでもいいもんねー」と言ったりするので大丈夫かと思っていたのですが、私がいなくて泣いていたようで目が腫れていました。次男にかかりきりで長男にさみしい思いをさせたことを反省しました。

次男は心配ご無用と言わんばかりに元気で、いつも通りに過ごしていました。3日後くらいに傷口のテープを勝手にはがしてしまい、慌てて病院に電話したところ、傷がふさがっているならばんそうこうなどを貼っていれば大丈夫とのことでした。思ったより早く傷口もくっつきました。

術後1週間して、経過観察のためもう一時通院。「傷口きれいですね、ではいいですよ^^」とあっさり言われ、それからは通院の必要はなくなりました。

その後の様子と経過観察、まとめ

その後次男は特に不調もなく、元気に過ごしています。精神的にも肉体的にも大変でしたが、無事に終わって本当によかったです。一番大変だったのは、次男本人でしょう。

今回のことで、次男だけでなく長男の寂しさにも気を配るよう、改めて考えさせられました。人として母として、親子ともに成長できたように思います。

ところが、全部終わったからもうこれで大丈夫と思いきや…。

退院の際先生が言われていたのですが、鼠経ヘルニアの手術をした子は、将来反対側の下腹部も鼠経ヘルニアになる可能性があるんだそうです^^;「その時はまた来てくださいね」とのこと。

心配事はつきそうにありません。

ですが今は元気な子供たちと、怒ってしまう時もありますが(いつもですね^^;)楽しく過ごせるありがたみを感じていきたいと思います。

追伸:この記事内で掲載している画像は、画像サイトよりお借りしたものです。

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